既非幡動,亦非風動,乃爾心動也。
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一切有為法,如夢幻泡影。
如露亦如電,應作如是觀。
鳩摩羅什
現在の仏教にとって、玄奘(げんじょう)三蔵法師よりも鳩摩羅什三蔵法師のほうが絶大な影響を与えたと私は考えております。玄奘三蔵の名は、『西遊記』などを通じてみなにも熟知されています。 それにもかかわらず、 鳩摩羅什三蔵法師のことはあまり知られていません。 「色即是空空即是色」この有名な八文字は、鳩摩羅什が生み出したものでございます。
鳩摩羅什(梵語 Kumārajīva )(公元 344 ~ 413 年),簡稱羅什。五胡十六國時期高僧,著名的佛經翻譯家。與真谛(499—569)、玄奘(602~664)、並稱為中國佛教三大翻譯家。
鳩摩羅什(くまらじゅう、サンスクリット:Kumārajīva,クマーラジーヴァ)、(344年 - 413年とも)略称は羅什(らじゅう)または什(じゅう)。中国五胡十六国時代の訳経僧である。真諦、玄奘と共に三大訳経家とも呼ばれる。
鸠摩羅什的父親鸠摩羅炎,天竺人,家世顯赫,世代為相,鸠摩羅炎天賦異禀且有高節,本應嗣繼相位,然而他不但推辭不就,而且毅然出家。隨後東度蔥嶺到龜茲國,龜茲王非常敬慕他的高德,便親自到郊外迎接,並延請為國師。鸠摩羅什的母親,是龜茲王白純的妹妹耆婆,聰敏才高,能過目不忘且解悟其中妙義。其身體有紅痣,依命相之法來說,正是必生貴子的特徵。已屆雙十年華,雖有各國顯貴競相提親,但她卻不肯答應。等到一見鸠摩羅炎,十分傾心,決意嫁他。于是,其父還俗與公主結婚,生下羅什。
父は鳩摩羅炎(くまらえん)といいますが、天竺(インド)の大臣の息子で、聡明にして節度ある人といわれていました。亀茲(クチャ)国王は、鳩摩炎が地位を捨て出家したことを聞いて、国師として王宮に迎えます。母は亀茲国王の妹。炎が亀茲国を訪れたとき二十歳を過ぎたばかりでありました。 彼女は賢く明敏で、一度見聞きしたものはそのまま諳(そら)んじる才能がありました。その上、身体に赤いアザがありました。そのアザをもつ女性は必ず賢い子供を生むという言い伝えでした。耆婆の美しさは他と比べようもなく、近隣の国の王妃にと、乞う数(かず)があまたでしたが、耆婆は鳩摩羅炎を一目見るや、たちまちとりこになってしまいました。鳩摩羅炎は、王命によって還俗させられ、耆婆の願いがかなって結婚。鳩摩羅什を身ごもったのです
不久,鸠摩羅什的母親想出家,但丈夫不允許,于是她絕食抗議,經過六天,氣力衰竭,命若懸絲。她的丈夫,只好忍痛答應。然而她在尚未落發前,堅決不吃任何食物,于是即刻命人剃除頭發,方才進食。隔天,正式受戒,進而修習禅法,專精不懈,終于證得須陀洹初果。當時,鸠摩羅什年方七歲,也跟隨母親一同出家。
さて、三五六年、七歳のときに母の耆婆の勧めで出家し沙弥(しゃみ)となります。 母親の耆婆も同時に比丘尼(びくに)となり、出家得度をしようというわけです。 それで父は妻耆婆の出家に絶対反対したわけです。するとお母さんのほうは、六日間絶食して出家を許してくれなければ死んで…というようなハンストを実行しました。それで仕方なくお父さんのほうが許したという話が残っています。そういうように仏教に熱意のある母耆婆の影響を受けて、鳩摩羅什は、一緒に出家したわけです。
當鸠摩羅什十二歲時,母親又攜帶他返回龜茲國。在月氏北山,有一位阿羅漢見到鸠摩羅什,非常驚異地告訴羅什的母親:「應當常守護這位小沙彌,假如他能到三十五歲而不破戒,那麽將會大興佛法,度無數衆生。」
羅什十二歳のとき、このカシミールを後にし、亀茲国への帰途パミール山中の北山(ほくざん)で、一人の僧が彼の顔を見て、母耆婆に次のように予言をしたのです。「いつもこの子を守ってあげなさい。もし、三十五歳までに破戒しなかったならば、正に大いに仏法を起こし、無数の人々を度する優婆堀多(うばくった)となる。もし全まっとうせねば、ただ単にああ、賢いお坊さんだなで終わる」と。
鸠摩羅什跟隨著母親,在各地參學、弘化,不僅在佛法方面更上層樓,而且名滿天下。
龜茲王還親自前往溫宿國,迎請鸠摩羅什母子回國教化。龜茲國原屬小乘的教法,鸠摩羅什廣開大乘法筵,聽聞者莫不歡喜贊歎,大感相逢恨晚。此時,鸠摩羅什正值二十歲,于是在王宮受戒,從卑摩羅叉學《十誦律》。
不久,鸠摩羅什的母親決心到天竺修行。她辭別龜茲王說:「你的國運不久就會衰微了。」她只身前往天竺,勇猛精進,證得阿那含三果。
當她要到天竺時,曾經對鸠摩羅什說:「大乘方等甚深的教法,要傳揚到東土(中國),全得仰賴你的力量。但是這件宏偉的事,對你而言,卻沒有絲毫的利益,要怎麽辦呢?」
鸠摩羅什回答說:「大乘菩薩之道,要利益別人而忘卻自己。假如我能夠使佛陀的教化流傳,使迷蒙的衆生醒悟,雖然會受到火爐湯镬的苦楚,我也沒有絲毫的怨恨。」
さて、鳩摩羅什は亀茲国へ帰るに当たり、温宿 (アクス)で一人の道士に出会います。その道士は、「論じて我に勝たば、首を切りてこれに謝せん」と議論を挑んできました。
その道士を鳩摩羅什は論破して、大乗仏教に帰依させます。ここにおいて、羅什の名声はパミールの東から黄河の外、すなわち中国まで広がったと伝えられています。
亀茲国王の白純は羅什をアクスまで出迎えます。三七〇年、鳩摩羅什は二十歳のときに卑摩羅叉(ひまらしゃ)を戒師として、王宮で受戒し、『十誦律』を学び、ここで初めて正式な僧侶になったのです。
その後、 鳩摩羅什の母耆婆は亀茲国王の白純に「汝の国、減衰す。我、それを去る」と告げて去って行きます。 母は亀茲国を去るに当たって、羅什に、 「鳩摩羅什、あなたしか中国に本当の大乗の教えを伝える人はいない。しかしそれはあなた自身にとっては何の利益もない。あなたはどうしますか」と、聞きます。
鳩摩羅什は答えます。 「自分がいろり鍋で焚かれるような、そんな苦しみに遭ったとしても悔いはない。この大乗の教えを東方の国々に伝え、人々の心を洗わせて悟りに至たらせるということができるならば」と。
母はインドに去り、鳩摩羅什は亀茲国の寺院にとどまって、修学と大乗の布教に専念しました。
鸠摩羅什的神思俊才,傳遍整個西域,鸠摩羅什的名聲不僅遠播西域,也東傳至我國。前秦苻堅久仰大名,在心中早已有迎請的想法。于是次年九月,苻堅派遣骁騎將軍呂光率領七萬大軍,討伐龜茲及烏耆諸國。呂光銳氣風發,平複龜茲國後,便另立白純之弟白震為龜茲國王。呂光擄獲鸠摩羅什,看他年紀尚小,不知他智慧高深,就把他當凡夫俗子來戲弄。呂光強迫鸠摩羅什與龜茲公主成親,鸠摩羅什苦苦請辭。
關于破戒,有書寫道,羅什是因為見到誘惑三日均未成功而在哭泣的公主,詢問為何哭泣的理由,公主答曰「如果三日的期限沒有成功,呂光就會殺了我」||||||
鳩摩羅什は、師匠について仏教を学び、たちまち天才少年僧侶として西域諸国で活躍します。人から人へと名声は伝わり、やがて苻堅の知る所となります。苻堅は7万の大軍を部将の呂光に預けました。呂光は亀茲国を武力で制圧し、鳩摩羅什も呂光軍に捕まります。 呂光は、苻堅の命令で拘束しただけで鳩摩羅什に尊敬の念を持っていたわけではない。呂光の性格粗暴にして、若輩の鳩摩羅什をもてあそび、呂光は亀茲の中でも特別美しい王女を鳩摩羅什に与えて、飲酒の上で密室に閉じ込め女犯の罪により破戒させようとします。
ある書物によりますと、このとき羅什が何日たっても王女に手を触れない。呂光は王女を呼び出して、「おまえ、何とか鳩摩羅什を誘惑しなさい」と命令するわけです。 何遍試みてもそれが成功しない。ある時、王女が部屋に戻ってシクシク泣く。「なぜ泣くんだ」と鳩摩羅什が聞くと、「三日以内にあなたが私を妻にしてくれなかったら、私は殺されてしまいます」と。それで鳩摩羅什は苦渋の選択を迫られて、ついに王女を妻にして破戒をしたという記述があります。
呂光率軍返國,當大軍到達涼州(今甘肅省武威縣)時,聞知苻堅已被姚苌殺害,呂光遂下令三軍缟素服喪,並自立為帝,國號涼(史稱後涼),建元為太安。
羅什とおびだだしい財宝を手に入れた呂光は、長安への帰路、クーデターによる主君苻堅王の死を知り、姑臧(こぞう)に後涼(こうりょう)国を建て、自ら王位に就きました。
呂光也死亡。呂光的太子呂紹便繼承帝位,但過了幾天,呂纂殺害呂紹而自立,建元鹹甯。
399 年、呂光は死に、呂纂が王位につく。鳩摩羅什はその後も、国家の占い師のような役割で、呂纂と親しく交わったと言われ、結局16年間姑蔵にいた。この16年の間、鳩摩羅什は、漢語の習得と中国古典をよく学んだと言われる。中論などは、姑蔵で訳していたのではと思われる。僧肇が姑蔵に来て鳩摩羅什のもとで学んだと言われ、鳩摩羅什も彼から中国古典を学んだことであろう。このように、この16年は鳩摩羅什にとってつらい期間であったが、漢語などその後の仏典翻訳に必要な知識が多いに養われた、重要な時期でもあった。
後秦姚興弘始三年(西元 401 年)三月,在廟庭的逍遙園,青蔥竟然變為香芷,這被公認為祥瑞,象征著大德智人將會到來。同年五月,姚興派遣隴西碩德,西伐涼國呂隆,呂隆軍隊潰敗,至九月呂隆上表歸降,鸠摩羅什才能前往關中,此時,他已五十八歲了。
弘始三年十二月二十日,鸠摩羅什抵達長安。姚興萬分喜稅,以國師之禮待鸠摩羅什,次年並敦請他到西明閣和逍遙園翻譯佛經,又遴選沙門僧契、僧遷、法欽、道流、道恒、道標、僧睿、僧肇等八百余人參加譯場。
鸠摩羅什譯有《中論》、《百論》、《十二門論》、《般若經》、《法華經》、《大智度論》、《維摩經》、《華手經》、《成實論》、《阿彌陀經》、《無量壽經》、《首楞嚴三昧經》、《十住經》、《坐禅三昧經》、《彌勒成佛經》、《彌勒下生經》、《十誦律》、《十誦戒本》、《菩薩戒本》、佛藏、菩薩藏等等。有關翻譯的總數,依《出三藏記集》卷二載,共有三十五部,二九七卷;據《開元錄》卷四載,共有七十四部,三八四卷。
東漢明帝時,佛法傳來中國,曆經魏晉諸朝,漢譯的經典漸漸增多,但是翻譯的作品多不流暢,與原梵本有所偏差。
鸠摩羅什羁留涼國十七年,對于中土民情非常熟悉,在語言文字上能運用自如,又加上他原本博學多聞,兼具文學素養,因此,在翻譯經典上,自然生動而契合妙義,在傳譯的裏程上,締造了一幕空前的盛況。
苻堅王の死と共に、前泰は亡びますが、やがて後泰国が建ち第二代王の姚興(ようこう)が天下を握ると、仏教を求める志がたかく、四〇一年五月、姚興王は羅什を引き渡すように後涼国に要求しますが、亀茲国の時と同じで、これを拒絶されます。
姚興は六万人の軍隊を後涼に派遣して、後涼国第四代呂隆(ろりゅう)王を討たせ、 九月に隆は姚興に降伏し、鳩摩羅什を差し出すに至ったのです。
こうしてようやく羅什は長安の都に入ることになります。四〇一年十二月二十日、鳩摩羅什五十八歳でした。 姚興は鳩摩羅什に正しい経典の漢訳を期待します。
羅什の訳場は、 逍遥園(しょうようえん)(現草堂寺) です。四〇一年十二月から約五年間。四〇六年から長安大寺に移り訳経は合わせて三十五巻、二百九十四部の大部にわたりました。
訳経は次のようになされたようです。まず羅什が口訳(こうえん)をし、続いて旧訳と羅什訳を対比、質疑討論。それを弟子が筆受。訳場が即、講義の場にもなります。これでよしとなれば、羅什が美しい文章に書き直す。こんな順番であります。
鸠摩羅什心知世壽已盡,但還希望繼續譯經弘法,當他稍覺身體四大不調,便為自己持咒三遍,又請外國弟子共同誦念,然而回天乏術。圓寂之前,鸠摩羅什向僧衆告別說:「我們因佛法相逢,然而我尚未盡到此心,卻將要離去,悲傷豈可言喻!我自認為愚昧,忝為佛經傳譯,共譯出經三百余卷,只有《十誦律》一部尚未審定,如果能保存本旨,一定沒有錯誤。我希望所有翻譯的經典,能夠流傳于後世,而發揚光大。如今我在大衆面前,發誠實誓願──如果我所傳譯的經典沒有錯誤,願我的身體火化之後,舌頭不會焦爛。」後秦姚興弘始十一年八月二十日,即東晉安帝義熙五年(西元 409 年),鸠摩羅什在長安圓寂,于是在逍遙園火化。當飛灰煙滅後,他的形骸已粉碎,只有舌頭依然如生。這正應驗了他以前的誓願,留給我們無盡的沈思和緬懷!
四〇九年八月二十日、鳩摩羅什は長安で没します。 享年六十歳。 死に当たって彼は 私はよそ者(外国人)であったけれども、どういう因縁であったか、経典の翻訳に当ることになり、三百余巻を訳した。どうかその本旨を極めて、間違わないようにして欲しい。願わくば、訳した経典を広くひろめて後世に伝えるように。私が翻訳し、大乗仏教の真髄を皆さんに伝えたところに誤りがなかったならば、死んだ後、身はたきぎで焼かれるわけだが、舌だけは焼かれないで形をとどめるであろう。」という言葉を残します。彼の言葉通り、遺体は灰葬されましたが、舌だけは灰にならなかったと伝えられています。
如露亦如電,應作如是觀。
鳩摩羅什
現在の仏教にとって、玄奘(げんじょう)三蔵法師よりも鳩摩羅什三蔵法師のほうが絶大な影響を与えたと私は考えております。玄奘三蔵の名は、『西遊記』などを通じてみなにも熟知されています。 それにもかかわらず、 鳩摩羅什三蔵法師のことはあまり知られていません。 「色即是空空即是色」この有名な八文字は、鳩摩羅什が生み出したものでございます。
鳩摩羅什(梵語 Kumārajīva )(公元 344 ~ 413 年),簡稱羅什。五胡十六國時期高僧,著名的佛經翻譯家。與真谛(499—569)、玄奘(602~664)、並稱為中國佛教三大翻譯家。
鳩摩羅什(くまらじゅう、サンスクリット:Kumārajīva,クマーラジーヴァ)、(344年 - 413年とも)略称は羅什(らじゅう)または什(じゅう)。中国五胡十六国時代の訳経僧である。真諦、玄奘と共に三大訳経家とも呼ばれる。
鸠摩羅什的父親鸠摩羅炎,天竺人,家世顯赫,世代為相,鸠摩羅炎天賦異禀且有高節,本應嗣繼相位,然而他不但推辭不就,而且毅然出家。隨後東度蔥嶺到龜茲國,龜茲王非常敬慕他的高德,便親自到郊外迎接,並延請為國師。鸠摩羅什的母親,是龜茲王白純的妹妹耆婆,聰敏才高,能過目不忘且解悟其中妙義。其身體有紅痣,依命相之法來說,正是必生貴子的特徵。已屆雙十年華,雖有各國顯貴競相提親,但她卻不肯答應。等到一見鸠摩羅炎,十分傾心,決意嫁他。于是,其父還俗與公主結婚,生下羅什。
父は鳩摩羅炎(くまらえん)といいますが、天竺(インド)の大臣の息子で、聡明にして節度ある人といわれていました。亀茲(クチャ)国王は、鳩摩炎が地位を捨て出家したことを聞いて、国師として王宮に迎えます。母は亀茲国王の妹。炎が亀茲国を訪れたとき二十歳を過ぎたばかりでありました。 彼女は賢く明敏で、一度見聞きしたものはそのまま諳(そら)んじる才能がありました。その上、身体に赤いアザがありました。そのアザをもつ女性は必ず賢い子供を生むという言い伝えでした。耆婆の美しさは他と比べようもなく、近隣の国の王妃にと、乞う数(かず)があまたでしたが、耆婆は鳩摩羅炎を一目見るや、たちまちとりこになってしまいました。鳩摩羅炎は、王命によって還俗させられ、耆婆の願いがかなって結婚。鳩摩羅什を身ごもったのです
不久,鸠摩羅什的母親想出家,但丈夫不允許,于是她絕食抗議,經過六天,氣力衰竭,命若懸絲。她的丈夫,只好忍痛答應。然而她在尚未落發前,堅決不吃任何食物,于是即刻命人剃除頭發,方才進食。隔天,正式受戒,進而修習禅法,專精不懈,終于證得須陀洹初果。當時,鸠摩羅什年方七歲,也跟隨母親一同出家。
さて、三五六年、七歳のときに母の耆婆の勧めで出家し沙弥(しゃみ)となります。 母親の耆婆も同時に比丘尼(びくに)となり、出家得度をしようというわけです。 それで父は妻耆婆の出家に絶対反対したわけです。するとお母さんのほうは、六日間絶食して出家を許してくれなければ死んで…というようなハンストを実行しました。それで仕方なくお父さんのほうが許したという話が残っています。そういうように仏教に熱意のある母耆婆の影響を受けて、鳩摩羅什は、一緒に出家したわけです。
當鸠摩羅什十二歲時,母親又攜帶他返回龜茲國。在月氏北山,有一位阿羅漢見到鸠摩羅什,非常驚異地告訴羅什的母親:「應當常守護這位小沙彌,假如他能到三十五歲而不破戒,那麽將會大興佛法,度無數衆生。」
羅什十二歳のとき、このカシミールを後にし、亀茲国への帰途パミール山中の北山(ほくざん)で、一人の僧が彼の顔を見て、母耆婆に次のように予言をしたのです。「いつもこの子を守ってあげなさい。もし、三十五歳までに破戒しなかったならば、正に大いに仏法を起こし、無数の人々を度する優婆堀多(うばくった)となる。もし全まっとうせねば、ただ単にああ、賢いお坊さんだなで終わる」と。
鸠摩羅什跟隨著母親,在各地參學、弘化,不僅在佛法方面更上層樓,而且名滿天下。
龜茲王還親自前往溫宿國,迎請鸠摩羅什母子回國教化。龜茲國原屬小乘的教法,鸠摩羅什廣開大乘法筵,聽聞者莫不歡喜贊歎,大感相逢恨晚。此時,鸠摩羅什正值二十歲,于是在王宮受戒,從卑摩羅叉學《十誦律》。
不久,鸠摩羅什的母親決心到天竺修行。她辭別龜茲王說:「你的國運不久就會衰微了。」她只身前往天竺,勇猛精進,證得阿那含三果。
當她要到天竺時,曾經對鸠摩羅什說:「大乘方等甚深的教法,要傳揚到東土(中國),全得仰賴你的力量。但是這件宏偉的事,對你而言,卻沒有絲毫的利益,要怎麽辦呢?」
鸠摩羅什回答說:「大乘菩薩之道,要利益別人而忘卻自己。假如我能夠使佛陀的教化流傳,使迷蒙的衆生醒悟,雖然會受到火爐湯镬的苦楚,我也沒有絲毫的怨恨。」
さて、鳩摩羅什は亀茲国へ帰るに当たり、温宿 (アクス)で一人の道士に出会います。その道士は、「論じて我に勝たば、首を切りてこれに謝せん」と議論を挑んできました。
その道士を鳩摩羅什は論破して、大乗仏教に帰依させます。ここにおいて、羅什の名声はパミールの東から黄河の外、すなわち中国まで広がったと伝えられています。
亀茲国王の白純は羅什をアクスまで出迎えます。三七〇年、鳩摩羅什は二十歳のときに卑摩羅叉(ひまらしゃ)を戒師として、王宮で受戒し、『十誦律』を学び、ここで初めて正式な僧侶になったのです。
その後、 鳩摩羅什の母耆婆は亀茲国王の白純に「汝の国、減衰す。我、それを去る」と告げて去って行きます。 母は亀茲国を去るに当たって、羅什に、 「鳩摩羅什、あなたしか中国に本当の大乗の教えを伝える人はいない。しかしそれはあなた自身にとっては何の利益もない。あなたはどうしますか」と、聞きます。
鳩摩羅什は答えます。 「自分がいろり鍋で焚かれるような、そんな苦しみに遭ったとしても悔いはない。この大乗の教えを東方の国々に伝え、人々の心を洗わせて悟りに至たらせるということができるならば」と。
母はインドに去り、鳩摩羅什は亀茲国の寺院にとどまって、修学と大乗の布教に専念しました。
鸠摩羅什的神思俊才,傳遍整個西域,鸠摩羅什的名聲不僅遠播西域,也東傳至我國。前秦苻堅久仰大名,在心中早已有迎請的想法。于是次年九月,苻堅派遣骁騎將軍呂光率領七萬大軍,討伐龜茲及烏耆諸國。呂光銳氣風發,平複龜茲國後,便另立白純之弟白震為龜茲國王。呂光擄獲鸠摩羅什,看他年紀尚小,不知他智慧高深,就把他當凡夫俗子來戲弄。呂光強迫鸠摩羅什與龜茲公主成親,鸠摩羅什苦苦請辭。
關于破戒,有書寫道,羅什是因為見到誘惑三日均未成功而在哭泣的公主,詢問為何哭泣的理由,公主答曰「如果三日的期限沒有成功,呂光就會殺了我」||||||
鳩摩羅什は、師匠について仏教を学び、たちまち天才少年僧侶として西域諸国で活躍します。人から人へと名声は伝わり、やがて苻堅の知る所となります。苻堅は7万の大軍を部将の呂光に預けました。呂光は亀茲国を武力で制圧し、鳩摩羅什も呂光軍に捕まります。 呂光は、苻堅の命令で拘束しただけで鳩摩羅什に尊敬の念を持っていたわけではない。呂光の性格粗暴にして、若輩の鳩摩羅什をもてあそび、呂光は亀茲の中でも特別美しい王女を鳩摩羅什に与えて、飲酒の上で密室に閉じ込め女犯の罪により破戒させようとします。
ある書物によりますと、このとき羅什が何日たっても王女に手を触れない。呂光は王女を呼び出して、「おまえ、何とか鳩摩羅什を誘惑しなさい」と命令するわけです。 何遍試みてもそれが成功しない。ある時、王女が部屋に戻ってシクシク泣く。「なぜ泣くんだ」と鳩摩羅什が聞くと、「三日以内にあなたが私を妻にしてくれなかったら、私は殺されてしまいます」と。それで鳩摩羅什は苦渋の選択を迫られて、ついに王女を妻にして破戒をしたという記述があります。
呂光率軍返國,當大軍到達涼州(今甘肅省武威縣)時,聞知苻堅已被姚苌殺害,呂光遂下令三軍缟素服喪,並自立為帝,國號涼(史稱後涼),建元為太安。
羅什とおびだだしい財宝を手に入れた呂光は、長安への帰路、クーデターによる主君苻堅王の死を知り、姑臧(こぞう)に後涼(こうりょう)国を建て、自ら王位に就きました。
呂光也死亡。呂光的太子呂紹便繼承帝位,但過了幾天,呂纂殺害呂紹而自立,建元鹹甯。
399 年、呂光は死に、呂纂が王位につく。鳩摩羅什はその後も、国家の占い師のような役割で、呂纂と親しく交わったと言われ、結局16年間姑蔵にいた。この16年の間、鳩摩羅什は、漢語の習得と中国古典をよく学んだと言われる。中論などは、姑蔵で訳していたのではと思われる。僧肇が姑蔵に来て鳩摩羅什のもとで学んだと言われ、鳩摩羅什も彼から中国古典を学んだことであろう。このように、この16年は鳩摩羅什にとってつらい期間であったが、漢語などその後の仏典翻訳に必要な知識が多いに養われた、重要な時期でもあった。
後秦姚興弘始三年(西元 401 年)三月,在廟庭的逍遙園,青蔥竟然變為香芷,這被公認為祥瑞,象征著大德智人將會到來。同年五月,姚興派遣隴西碩德,西伐涼國呂隆,呂隆軍隊潰敗,至九月呂隆上表歸降,鸠摩羅什才能前往關中,此時,他已五十八歲了。
弘始三年十二月二十日,鸠摩羅什抵達長安。姚興萬分喜稅,以國師之禮待鸠摩羅什,次年並敦請他到西明閣和逍遙園翻譯佛經,又遴選沙門僧契、僧遷、法欽、道流、道恒、道標、僧睿、僧肇等八百余人參加譯場。
鸠摩羅什譯有《中論》、《百論》、《十二門論》、《般若經》、《法華經》、《大智度論》、《維摩經》、《華手經》、《成實論》、《阿彌陀經》、《無量壽經》、《首楞嚴三昧經》、《十住經》、《坐禅三昧經》、《彌勒成佛經》、《彌勒下生經》、《十誦律》、《十誦戒本》、《菩薩戒本》、佛藏、菩薩藏等等。有關翻譯的總數,依《出三藏記集》卷二載,共有三十五部,二九七卷;據《開元錄》卷四載,共有七十四部,三八四卷。
東漢明帝時,佛法傳來中國,曆經魏晉諸朝,漢譯的經典漸漸增多,但是翻譯的作品多不流暢,與原梵本有所偏差。
鸠摩羅什羁留涼國十七年,對于中土民情非常熟悉,在語言文字上能運用自如,又加上他原本博學多聞,兼具文學素養,因此,在翻譯經典上,自然生動而契合妙義,在傳譯的裏程上,締造了一幕空前的盛況。
苻堅王の死と共に、前泰は亡びますが、やがて後泰国が建ち第二代王の姚興(ようこう)が天下を握ると、仏教を求める志がたかく、四〇一年五月、姚興王は羅什を引き渡すように後涼国に要求しますが、亀茲国の時と同じで、これを拒絶されます。
姚興は六万人の軍隊を後涼に派遣して、後涼国第四代呂隆(ろりゅう)王を討たせ、 九月に隆は姚興に降伏し、鳩摩羅什を差し出すに至ったのです。
こうしてようやく羅什は長安の都に入ることになります。四〇一年十二月二十日、鳩摩羅什五十八歳でした。 姚興は鳩摩羅什に正しい経典の漢訳を期待します。
羅什の訳場は、 逍遥園(しょうようえん)(現草堂寺) です。四〇一年十二月から約五年間。四〇六年から長安大寺に移り訳経は合わせて三十五巻、二百九十四部の大部にわたりました。
訳経は次のようになされたようです。まず羅什が口訳(こうえん)をし、続いて旧訳と羅什訳を対比、質疑討論。それを弟子が筆受。訳場が即、講義の場にもなります。これでよしとなれば、羅什が美しい文章に書き直す。こんな順番であります。
鸠摩羅什心知世壽已盡,但還希望繼續譯經弘法,當他稍覺身體四大不調,便為自己持咒三遍,又請外國弟子共同誦念,然而回天乏術。圓寂之前,鸠摩羅什向僧衆告別說:「我們因佛法相逢,然而我尚未盡到此心,卻將要離去,悲傷豈可言喻!我自認為愚昧,忝為佛經傳譯,共譯出經三百余卷,只有《十誦律》一部尚未審定,如果能保存本旨,一定沒有錯誤。我希望所有翻譯的經典,能夠流傳于後世,而發揚光大。如今我在大衆面前,發誠實誓願──如果我所傳譯的經典沒有錯誤,願我的身體火化之後,舌頭不會焦爛。」後秦姚興弘始十一年八月二十日,即東晉安帝義熙五年(西元 409 年),鸠摩羅什在長安圓寂,于是在逍遙園火化。當飛灰煙滅後,他的形骸已粉碎,只有舌頭依然如生。這正應驗了他以前的誓願,留給我們無盡的沈思和緬懷!
四〇九年八月二十日、鳩摩羅什は長安で没します。 享年六十歳。 死に当たって彼は 私はよそ者(外国人)であったけれども、どういう因縁であったか、経典の翻訳に当ることになり、三百余巻を訳した。どうかその本旨を極めて、間違わないようにして欲しい。願わくば、訳した経典を広くひろめて後世に伝えるように。私が翻訳し、大乗仏教の真髄を皆さんに伝えたところに誤りがなかったならば、死んだ後、身はたきぎで焼かれるわけだが、舌だけは焼かれないで形をとどめるであろう。」という言葉を残します。彼の言葉通り、遺体は灰葬されましたが、舌だけは灰にならなかったと伝えられています。
簡介一大段(上面那長串是找來給友人看的介紹),正式說小春的「不負如來不負卿」。看了那麽多年的穿越文,終于能有一篇入的了俺的眼的一一,雖然書中艱澀的佛理、地名、哲言……看得我頭大,但是鑲嵌在其間的感情,卻是讓人堅持下去的理由。沒有桀骜不羁的帝王,沒有深情如斯的王爺,沒有衆美男圍繞在穿越到古代的女主周圍。很多穿越文根本就失去了穿越的意義和本質,好象穿越過去就是為了炫耀現代人非凡的才能和超過古代人的很多他們不知道的東西,搞得好象只要是現代人,只要能穿越就可以成為書中的女主角,千篇一律讓人不屑。而「不負如來不負卿」就不一樣,選材、編改完全緊扣史實,小春對一千六百多年前西域的曆史的掌握只能說是令人扼腕歎服。雖然曆史也是以訛傳訛,這些事迹怎麽看都肯RP,不過卻被改的合情合理,連羅什(SHI)的名字「什」(同十,嘛,就是用來計數的那個繁體嘛)人家以前一直念什(SHEN)的|||現在卻因為女主角的每十年穿越而印象深刻,十年又十年的分離,短短數年的相聚。這段愛情,承載了曆史、佛法、文化……如同醇酒慢慢醞釀,情入文,文如砒霜入骨,衆看官也再不忍釋卷,一口氣讀到與子偕老方才罷休。我想這是作者最成功的地方吧,一般的穿越小說很難帶給人心靈上的慰藉,但是羅什和艾晴的愛情,沒有一波三折,沒有虐的死去活來,平淡中的細水流長,但是卻更加來的真實和自然!結局自然是不同于一般穿越文中女主角為了對方留在古代,這次是男方經曆了47年的光陰來到女主角的時代。所謂的穿越與反穿越麽,笑。
我坐在半山腰,離紅塵很近,離佛陀也很近,究竟如何才能不負如來不負卿?
P.S.
那個史上最強和尚——在史書裏,鸠摩羅什有三次跟性有關的事件。第一次就是呂光攻下龜茲後,本應按照符堅臨行前交代的,找到鸠摩羅什後迅速送往長安。而呂光並沒有這麽做。他看到鸠摩羅什年紀還不大(史書有說三十八歲的,也有說三十五歲的),就要鸠摩羅什娶公主,也是他表妹為妻。鸠摩羅什最終是在被灌醉酒的情況下破了戒的。第二次是在長安,姚興送了十個歌妓給鸠摩羅什,因為姚興認為鸠摩羅什的俊秀才智應該留繼承人下來,那時的鸠摩羅什起碼應該有五十八歲了。第三次,也是最驚世駭俗的,鸠摩羅什當面向姚興要女人,並且那個宮女還為他生了兩個孩子。前兩次應該說他都是被迫的,那第三次怎麽解釋?史書記載當然不都是事實,至少就有不少學者對那第三次持有懷疑。但偶就是被這第三次給雷到去挖這文來看XD。原先對鸠摩羅什的印象無非是寺廟裏求來的般若波羅密心經,看完這文後,俺對羅什以及整個無限YY的五胡十六國非常感興趣XD。
我坐在半山腰,離紅塵很近,離佛陀也很近,究竟如何才能不負如來不負卿?
P.S.
那個史上最強和尚——在史書裏,鸠摩羅什有三次跟性有關的事件。第一次就是呂光攻下龜茲後,本應按照符堅臨行前交代的,找到鸠摩羅什後迅速送往長安。而呂光並沒有這麽做。他看到鸠摩羅什年紀還不大(史書有說三十八歲的,也有說三十五歲的),就要鸠摩羅什娶公主,也是他表妹為妻。鸠摩羅什最終是在被灌醉酒的情況下破了戒的。第二次是在長安,姚興送了十個歌妓給鸠摩羅什,因為姚興認為鸠摩羅什的俊秀才智應該留繼承人下來,那時的鸠摩羅什起碼應該有五十八歲了。第三次,也是最驚世駭俗的,鸠摩羅什當面向姚興要女人,並且那個宮女還為他生了兩個孩子。前兩次應該說他都是被迫的,那第三次怎麽解釋?史書記載當然不都是事實,至少就有不少學者對那第三次持有懷疑。但偶就是被這第三次給雷到去挖這文來看XD。原先對鸠摩羅什的印象無非是寺廟裏求來的般若波羅密心經,看完這文後,俺對羅什以及整個無限YY的五胡十六國非常感興趣XD。
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